1997年ポーランドツアースケジュール


 1997年10月:

 7日(火)   スットクホルム経由でワルシャワ入り。
 ワルシャワ大学より招聘状をいただいていたので、日本ポーランドフォーラムが運営するアパートに宿泊。
 8日(水)       ワルシャワ現代美術センター、実験ホールを借りてリハーサル。
 9日(木)   ワルシャワ大学で公開リハーサル。
10日(金)   午後5時30分よりワルシャワ大学の図書館前の広場で「夜長姫と耳男のためのエチュード」を上演。観客動員300人。
 日本大使館主催「JAPAN DAYS」の催しのひとつであり、大使館が作成したパンフレットで紹介されたのをはじめ、新聞、ラジオなどでも「昨年に引き続き.....」というかたちで紹介された。そのため観客は、同大学の学生だけでなく一般の方も沢山訪れた。(クリスティーナ岡崎東洋学研究所所長はじめ、ワルシャワ大学日本学科教授陣、現在は同大学教授のヘンリック・リプシッツ前駐日大使、伊藤眞日本広報センター所長夫妻はじめ日本大使館関係者、マウゴジャータ・セミルITIポーランド支部事務局長など)。
 小雨の中の上演となったが、帰った観客はほとんどおらずその集中力に助けられた。パンフレットの他、ポーランド語に翻訳した挨拶文、最後のシーンの谷川俊太郎氏の詩、粗筋などを配った。
11日(土) 
12日(日)   千賀、丹下、米澤の3人がルブリンの国際演劇祭(昨年の第1回に招待参加)を訪問。昨年、作業をともにしたプロデューサー、スタッフ、通訳のボランティアの学生らと交歓。
 事務局より招待され、オーストリア、ノルウェー、イスラエル、ポーランド(ウッヂ)劇団の舞台を観劇。
13日(月)   ワルシャワに帰り、同じ3人で夜9時より現代美術センターで太田省吾氏の「更地」を表敬訪問、観劇。10日の大学での舞台を見た多くの人から声をかけられる。
14日(火)   アンジェイ・ピョントコフスキ氏のアトリエでリハーサル。カフェでの上演用に構成を変える。
15日(水)   夜7時より、ワルシャワ郊外の森の中にあるカフェ、KAFE NATALIIで「夜長姫と耳男のためのエチュード」を上演。観客約100人。
 観客が入り切れず最後は店のドアを開け放し、開放した。
 終演後、パーティー。ワルシャワ在住40年の日本人画家、鴨治晃次氏やワルシャワの舞台美術家、衣装デザイナーなども。
16日(木)   ワルシャワ大学にて、日本学科の創設者ウェスラフ・コタンスキ教授(古事記の研究で知られる)にお会いした(千賀、丹下)。
 いつお会いしてもそのテンションの高さに敬服する。最近の「古事記」研究のお話しなどうかがう。
17日(金)   各自が市内に散り、機材の調達や挨拶回りなどクラクフへ移動の準備。コントラバスの移動方法が常に問題になりITIで調べてもらう。
18日(土)   11:00発のノンストップ特急でクラクフに移動。駅にはヤギェウォ大学の演劇科の講師のスワフカ・ボロフスカ氏らが出迎え。
 午後、テアトル・ステュを下見。支配人の秘書(実質的な支配人)のドロタ・ジエンツォフスカ氏と打ち合わせ。Eメール、電話などでは何度も打ち合わせていたが会うのは初めて。
 我々はヤギェウォ大学の招聘状をいただいていたので、大学の招待客を泊めるためのホテル(一般は宿泊不可)に宿泊した。
 俳優アカデミーのオープニングパーティーに招待される。
19日(日)   ヤギェウォ大学の取り計らいでポーランドで初めてというシャガールの大規模な回顧展に招待される。
 午後、テアトル・ステュのリハーサル・ルームでリハーサル。
 夜、テアトル・ステュに招待され全員でチェーホフの構成劇を観劇。
20日(月)   テアトル・ステュで「夜長姫と耳男のためのエチュード」を上演。
 ボロフスカ氏がラジオ番組に登場し解説と宣伝。ニュースで何度も流れたそうです(彼女は昨年の公演の劇評も書いています)。また、リハーサルをテレビ、ラジオ2社、新聞4社が取材。当日のテレビのイブニングニュースで報道された。客席は満員、通路にもシートを出した。300人を動員。大好評であった。
 終演後、劇場が主催してロビーでワインパーティー。(ちなみにポーランドでは、パーティーでビールを飲むのはあまりよろしくありません)。沢山の観客が残りサインをもとめられる。
21日(火)   午後クラクフ俳優学校で特別授業(千賀、丹下)。英語/ポーランド語通訳付。
22日(水)   ヤギェウォ大学演劇学科のボロフスカ氏の授業の時間に、特別授業。学生30名のほか許可を得て参観した学生も。千賀、辻野、米澤、丹下が参加。
 日本/ポーランド語の通訳(日本学科の学生)が同席。千賀ゆう子が、現代日本の演劇状況について。私たちの作品の造り方について。辻野隆之が、舞台照明の理論。米澤牛が、地方都市在住の俳優の現状について。また、演劇作品を造るさいの経済的な状況について。それぞれレクチャーした。また、海外公演の際の予算状況(非常に厳しい状況にあること)についても説明した。ポーランドの状況とは、基本的に異なるため活発な質問を多く受け、時間切れ。廊下に出てからも話し合いは続いた。
 続けてヤギェウォ大学の学生新聞のインタビューを千賀が受けた。作品についてまた、日本でのポーランドの印象、クラクフの知名度などについて質問を受ける。
 学生新聞といっても、インターネットでページも持つ大がかりな組織である。(学生新聞の記事へ
23日(木)  千賀、丹下が、ITIポーランド支部を訪問。事務局長のセミル氏は、大変に多忙な方だがいつも我々を励まし支えになってくださる。
 メンバーはオフ。夜、いつもお世話になる日本人留学生の方も交えて打ち上げ。
24日(金)〜
25日(土) 
 コペンハーゲン経由で帰国。


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