ここ三年間、「古典」をテキストに古典の世界の持つ豊饒さ、言語の力強さを現代演劇に取り込み、提出する作業をやってきた。一九九五年「古事記をめくるvoI.1」、一九九六年「吉事記をめくるvoI.2」。そして、他グループとの共同作業として、一九九六年「TAKETOR」、一九九七年「虫愛づる姫君後日譚」等々。今回は、中世の奥飛騨を舞台に、戦後まもなく書かれたこの『夜長姫と耳男』をテキストに、現代演劇を提出しようとする試みである。とはいえ、この作品は「古典」ではないので、この世紀末の現代に、メタファーとしての、“夜長姫的存在”を前面に押し出すという意味で、“面”を用いる等、あえてフォルム化する「古典」的なものへの“揺りもどし”作業が必要であった。(但し、あくまで現代的な面である。)
天災、人災、不気味な出来事が相次いでおこる、この世紀末の一見平和な日常の風景が、敗戦直後、安吾の眼前に広がった焼け跡の光景を支点として、中世のぬけるような青空のもと、疫病で村人達がキリキリ舞する“死の乱舞”の風景と、不思議に呼応してくるように思える。坂口安吾は、地上世界が騒然とする時、新たな光彩を放ち、その都度鮮やかに蘇る!と、云われている。しかし、安吾先生の方は、流行にはかかわりはないのである。彼は、ニヤリと笑って「珍しい人や物に出会ったときは目を放すな。大蛇に足をかまれても、目を放すな。」と、書く。そう、ちゃんと見ること。みつめること。「のしかかるように見つめ伏せてはダメだ。その人やその物とともに、ひと色の水のようにすきとおらなければならないのだ。」
さて、何が見えてくるか。何が見たいのか。みられるのか? 新宿から飛騨の神岡へ、新潟へ、桐生へ、ポーランドへ、仙台へ、そして横浜まで。七月から十一月までどんどん変わっていきながら駆けぬけたいと念じています。何処かでおめにかかれることを……!