「KOJIKI/THE OLD STORY /古事記をめくる」
ワルシャワ公演の劇評


Zycie Warszawy(ワルシャワの生活)新聞  1996年10月30日付け

(見出し)
 ポーランドの観衆には、 1975年にワルシャワとブロツワフで上演された、 早稲田小劇場による「トロイアの女」で馴染みのある千賀ゆう子が、 日本最古の文献「古事記」に基づいて作った作品を自分のユニットで 「テアトル・マウイ(Teatr Maly)」で上演、自身も出演した。

(本文)
 千賀ゆう子のユニットは、テアトル・マウイ(小劇場)で 「古事記」-----最も古い記録、 つまり「昔の出来事の物語(The Old Story)」------を上演した。 千賀の脚本の題材となった「古事記」は日本でもっと古い書物である。 713年に書かれた「昔の出来事の物語(The Old Story) 」は、 古代日本の神話、言葉、歴史の忠実な採録である。
 古事記の書かれた時代、鳥は特別な意味を持っていた。 「鳥は暗闇から私に何かを語りかけようとしている。 私は見えざるものを見るために眼をこらし、 聞こえざるものを聴くため耳を澄まします。 私たちはこのようにして自分たちの世界を創造したい。 皆さんに私たちのエネルギーの色彩を感じていただければ幸いです。」 パンフレットの中で千賀はこのように書いている。
 ポーランドの観衆は1975年にワルシャワとブロツワフで上演された 「トロイアの女」で既に彼女を知っている。 鈴木忠志による「早稲田小劇場」に千賀は10年間所属し、 その後劇団「眞空鑑」の創設に参加した。
 芸術家・千賀は、 Jerzy Grotowskiの初期の創作活動に関わりの深いオーディーン劇場の 創設者、Eugenio Barbaの「I.S.T.A.(人類学・演劇第三国際学校)」にも 参加している。1982年に彼女は自分の事務所を設立する。

「昔の出来事の物語(古事記)」

 「古事記」の上演には千賀のほか丹下一、米澤牛、 橋本方弥が出演している。 この4人の紡ぎ出すプラスチックな映像、動きと踊りの世界は、 朝倉勇、鈴木ユリイカ、寺本マチ子の詩をもとに生まれる。 物語の筋がほとんどない声と幾何学的イメージのオーケストラのなかで、 ある一つの要素が繰り返し舞台で強調される。 この舞台では俳優のほかに、 様々な色の「枠」が物語を通して繰り返し登場し、 役割を演じているのである。 枠はある時は自分の異性の姿を映す鏡となる。 ある時は愛を営む寝床となり、不貞の後には冷たい墓場の象徴となる。 枠は時にその最も基本的な機能 ------ある一定の空間の特定-------- をも果たす。 その空間は芸術家の想像によってのみ埋めることができる。 千賀はあるときには画家・兼モデルとなる。 白のスカーフが肩にかかった黒い服に身を包み、 赤い四角の枠の中で口紅を塗ることで生きた絵を作り出す。 その間じゅう、千賀の周りを3人の俳優が衛星のように回りつづける。 特別な照明効果により、俳優たちの影で「昔の出来事の物語」の 新たなキャストが登場する。 それにより、私たちは例えば日本武尊が勇猛な熊襲を退治するときの キツネの戦いのことを知ることができる。 顔をマスクに隠した踊り手たちの手には小さな炎が燃えている。

エネルギーの色彩

 「古事記」は千賀の俳優たちにとって、 おそらく幾つかの場面で使われているだろう即興の場面の発想の 宝庫となった。 身のこなしや間合いの点で最も洗練されている役者は千賀ゆう子であり、 日本のアヴァンギャルドな各種劇団との協力活動や、 Eugenio BarbaのISTAを通じて培われたであろう豊富な経験が 随所に見られる。 共演陣はまだ彼女の頭のなかで生まれた物語を完全に再現するまでには 至っていない。 声もまだ練習する必要があると思われる。
 「古事記」の作者とは異なる文化を持った者にとっては、 このスペクタクルは話の筋を理解できるほど簡単ではないかもしれない。 しかし、特にその視覚効果には十分説得力がある。 それになによりもまず、千賀は観客に見えざるものを見、 聞こえざることを聴き、 エネルギーの色彩を感じてほしかったのではないか。
(文中敬称略)

(1996年10月23日 イヴォナ・ワベツカ-マルチェフスカ)
「The Old Story-古事記」
「古事記(昔の出来事の物語)」より
演出 千賀ゆう子
面 岡本芳一
音楽 尾島由郎
衣装 田中静子 千賀ゆう子 くろたにきょうこ
照明 辻野隆之
製作 アンジェイ・サドフスキ&千賀ユニット
提供 テアトル・マウイ ワルシャワ


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