2007年9月20日桐生タイムス特集記事に掲載されました。

この人に会いたい〜千賀ゆう子さん」

“安吾の居た街”に思い

初回から欠かさず蔵芝居参加「またここでやれ、ありがたい」


 樹齢300年を超えるというクスノキが見守り、明治から大正時代に建てられた蔵がそれぞれ特有の空間をつくりだしている有鄰館(桐生市本町二丁目)。いま第6回演劇祭「蔵芝居07」が開催されているが、その初回から欠かさず出演している、唯一の演劇人である。今月末、ここ有鄰館演劇祭で出会った元劇団白羽の看板女優、加藤翠さんを共演者に、酒蔵で観客を迎える。
 東京を拠点にしているプロの役者が、地縁も血縁もない桐生に通い続けるワケ。それは坂口安吾が居た街だからである。高校時代に初めて「桜の森の満開の下」を読み、大学時代も、役者になってからも、28歳で結婚し17年後に離婚した後も、手術をして食事療法で体質改善中のいまも、ずっと安吾を読んできた。

 「自殺することばかり考えていたとき、安吾を読んで救われたわね。だって、安吾の孤独の闇の深さったら。自分の孤独なんて、たいしたことないってわかるもの」。表現者として自立できるか、コンプレックスを抱え、精神的に大揺れに揺れていたころだった。
 桐生には一度、一人で来たことがある。冬のことだった。この街を、安吾が着流しで、ラモー(飼い犬のコリー)を連れて歩いていたと思うとたまらなかった。飛び込んだそば屋で「安吾にまずいと言われたよ」と聞かされた。そんな逸話でも温かかった。
 初めて桐生で芝居をしたのは1996年の春らんまん、岸田理生さんが千賀さんのために脚本を書いた「桜の森の満開の下」であった。第1回演劇祭の前年であり、また蔵群はほこりっぽく、裸足で演じるために一生懸命ぞうきんがけもした。「桜の森・・・」は場所を変えて何度もやっているけれど、あのときの濃密に凝縮された呪術(じゅじゅつ)的で官能的な気配を超える舞台はまだないという。「安吾が憑(つ)いていた」のだ。
 40年に及ぶ演劇的半生、振り返るといつも決定的な修羅場に居合わせたようだ。早稲田小劇場時代から演出もやり、衣装の制作が好きで、照明の重要性を知り、大勢の劇団員を支える食事当番もこなし、身体が利いたからか暗黒舞踏に友だちが多かった。
 「時分の役者を、プライドを持ってみんなで支える。小劇場ってそういう場。音響以外は何でもやったし人の気持ちもわかる。だから劇団を離れて千賀ゆう子企画を立ち上げて、毎回この指止まれ、ほんとうに意志のある人たちと共同作業するとうスタイルで来られた。横浜、仙台、金沢、新潟など、地方との関係も長いですね」
 「いつもさびしい少女。でも同世代の演劇人として闘ってきた人」と評する岸田理生さんをはじめ、ここ数年、多くの盟友を送ってきた。「生き残って、無事でいられるほうが不思議よ」と言いつつ、18日には東京六本木のストライプハウスギャラリーで三味線とジョイント、その後に浜松で「建礼門院」、京都で岡本かの子の「川」と本番が続いての桐生入りとなる。「またここで安吾をやれる。ありがたいことです」

≪文責 蓑崎昭子≫


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